日本史最大の謎といわれる「徳川埋蔵金」。その存在をめぐっては数多くの伝説や都市伝説が語られ、現代においても発注目を集め続けています。
しかし最近では、「徳川埋蔵金は掘り起こしてはいけない」という不穏なフレーズも広まりつつあります。
本記事では、徳川埋蔵金を掘り起こしてはいけないとされる理由や、それにまつわる暗号・呪い・発掘の歴史、さらには「本当に存在するのか?」という核心にも迫ります。
徳川埋蔵金を掘り起こしてはいけない理由とは?不気味な噂

徳川埋蔵金についての噂「かごめかごめと関係がある」「発掘すると祟りがある」などについて解説していきます。
徳川埋蔵金と「かごめかごめ」の不気味な関係
童謡「かごめかごめ」が、実は徳川埋蔵金の隠し場所を示す暗号ではないか、という説をご存じでしょうか?
この節はの根拠は、まず、かごめとは籠の目の事を指しており、この目のひとつひとつが、六芒星の形をしていることからはじまります。
そして、徳川が関東で建てた神社や仏閣を線で結ぶと、六芒星の形になり、その六芒星の中心が「日光東照宮(徳川家康を祀る神社)」となっています。
更に、かごめかごめの「鶴と亀が滑った」「後ろの正面だあれ」などのフレーズをもとに進めていくと、埋蔵金は「日光東照宮の家康の墓の下」に埋まっているとのことです。
(しかしながら、日光東照宮は世界遺産なので掘ることはできないそうです)
本当かは分かりませんが、深く考察されており、面白い説だと思います。
実際、六芒星はすごい効果を持っています。六芒星は、エネルギーの象徴であり、調和やバランスを保つといった意味があります。
そんなパワーを持つ六芒星は、お守りとして身につけると、浄化や魔除けなどの効果が期待でき、幸運を引き寄せる可能性が高まるのでおすすめです!
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徳川埋蔵金はなぜ掘り起こしてはいけないと言われるのか
徳川埋蔵金が「掘り起こしてはいけない」とされる理由として、埋蔵金とともに発見されるかもしれない古文書などが、現在の歴史認識を覆してしまう危険性があるためと言われています。
しかし、政府が「徳川埋蔵金を掘り起こしてはいけない」と実際に言った記録はないため、この説は憶測の域をでません。
とはいえ、「埋蔵金にまつわる祟り」や「発掘者が不幸になる」という都市伝説が後押しとなり、人々の心理に「恐れ」を与えているのも事実です。
総じて言えるのは、単なる金銭的価値以上に、徳川埋蔵金には日本の歴史や精神文化が複雑に絡んでいるということです。ただの宝探しとはいえない“深層”がそこにはあるというわけですね。
徳川埋蔵金と赤城山の関係性とは?現在の発掘状況
赤城山は、徳川埋蔵金伝説における最有力の舞台とされています。
具体的には、江戸幕府の大老・井伊直弼が計画し、井伊が暗殺された後、軍学者であった林靏梁によって実行されたとされる「赤城山埋蔵計画」が根拠となっています。
こちらは、伝説としてだけでなく、一部では史実として語られるほど詳細な証言や地元の記録が存在します。
埋蔵量は360万~400万両(勝海舟の日記にある「軍用金として360万両有るが、これは常備兵を養う為の金で使うわけにいかない」という記述が根拠)とされています。
赤城山では、1990年代から2000年代にかけてTBSが大規模な発掘プロジェクトを実施。重機を使い、地質学者の監修のもとで行われた調査では、江戸時代の遺構や燈明皿、東照権現像などが発見されました。しかし、未だ決定的証拠は見つかっていません。
一部の研究者は、赤城山自体が囮であった可能性を指摘しています。つまり、敵の目を欺くための偽の隠し場所を用意し、真の埋蔵金は別の場所に移されたのではないかというのです。
それでも、現在もなお、赤城山周辺にはアマチュア探索者や地元の歴史研究家が訪れており、発見への期待は続いています。科学的な調査とロマンの両立が求められるこの地では、今後も新たな展開があるかもしれません。
徳川埋蔵金が和歌山に隠されている可能性はある?
埋蔵金が和歌山に隠されている可能性はあるのでしょうか?
徳川埋蔵金は、一般的には群馬県の赤城山や日光東照宮が埋蔵金の候補地とされています。しかし、紀州徳川家は御三家のひとつであり、徳川吉宗という名将を輩出した場所です。
現時点で物的証拠はありませんが、仮定の物語として、幕末の騒動の中、戦略的に重要資金を、あえて目立たない場所である和歌山に移した可能性もゼロではないかもしれません。
もちろん、和歌山に埋蔵金があるという明確な物証や発掘報告は現時点では確認されていません。
それでも、和歌山在住の私としては、「和歌山に埋まってたら面白いな」なんて思ったりしています。
夢のような話ですが、今後、新たな資料や証言が見つかれば、和歌山が注目される可能性もゼロではないかもしれません。
徳川埋蔵金にまつわる怪異・祟りの噂とは
徳川埋蔵金には、古くから「掘った者に災いが降りかかる」といった怪異や祟りの噂がついてまわります。これらの話は科学的な根拠に乏しいものの、人々の恐怖心を刺激しています。
日本では、古くから「封印された財宝には霊的守護がある」と信じられており、神仏や地霊が宝を守っているという信仰も背景にあります。徳川埋蔵金にも、そうした超常的な守護存在があるという見方があるのです。
これは文化的背景や精神性の表れであり、単なる迷信とは切り捨てられない側面を持っています。
結果として、こうした怪異や祟りの噂が、「掘り起こすべきではない」という抑止力として働いているのは確かです。たとえ宝が存在していたとしても、軽率に掘り起こすことへの警鐘として、現代にまで語り継がれているのです。
徳川の埋蔵金を掘り起こしてはいけない?存在しない可能性を含め真実に迫る

徳川埋蔵金は長年発見されておらず、存在自体を疑う声もあります。伝説の真偽や、歴史的背景を探ることで、徳川埋蔵金の真実に迫っていきます。
徳川埋蔵金は見つかったことがあるのか?
これまで多くの人々が徳川埋蔵金の発見を夢見て発掘を試みてきましたが、公的に認められた発見事例は存在しません。特に1990年代から2000年代にかけて行われたTBSのテレビ企画では、大規模な発掘が赤城山を中心に実施されました。視聴者の関心を集めた一方で、残念ながら埋蔵金そのものは確認されませんでした。
このプロジェクトでは、東照権現の像や銅製の燈明皿といった遺物が見つかりましたが、金貨や軍資金を示す文書など、徳川埋蔵金に直接つながるような物証は発見されていません。発掘現場の地層や構造も、自然にできたものなのか人工的なものかで専門家の見解が分かれることもありました。
それにもかかわらず、多くの人が「見つかっていないことが、むしろ存在を裏付ける」と考えています。というのも、幕府が埋蔵金を隠す際に非常に巧妙な手法を用いたとされており、発見が困難なのは当然だという解釈があるからです。あるいは、すでに誰かが発見して密かに持ち出してしまったという陰謀論も存在します。
このように、埋蔵金が“まだ見つかっていない”という事実そのものが、ロマンをかき立て続けています。発見に至っていないからといって、完全に否定するには早いという考え方が、いまなお伝説を生き続けさせているのです。
徳川埋蔵金は存在しないという説の根拠
徳川埋蔵金が存在しないと考えられる主な理由は以下のとおりです。
- 幕府の財政難
江戸幕府は長年にわたり大赤字の状態が続いていた。
また、幕末には軍艦や武器の購入など軍事力強化に巨額の資金を投入しており、埋蔵金として資金を隠す余裕はなかったと考えられる。
- 明治維新後の徳川家の行動
もし埋蔵金があれば、静岡藩に移った徳川家が元幕臣の生活維持や開墾事業のためにそれを使ったはずである。
- 大量の関係者による持ち逃げの可能性
江戸城で働いていた多数の人々が混乱に乗じて資金を持ち去ったなどで、徳川のお金は埋蔵されていない可能性がある。
このような視点から、徳川埋蔵金は「近代に創作された幻想である」とする見方が現在でも一部の研究者や歴史学者の間で支持されています。物証の欠如と初出の不自然さが、この説を補強しています。
徳川埋蔵金は誰が、何のために隠したのか?
徳川埋蔵金がもし実在したならば、それは一体誰が何のために隠したのか――この問いは埋蔵金伝説の核心ともいえます。一般的に知られている説では、幕末の大老・井伊直弼が幕府再興のために隠蔽計画を練ったとされています。
1868年、明治維新の混乱が広がる中、360万両もの金が群馬方面へと運ばれたという風に言われています。この金は、新政府軍への対抗策としての武装資金、あるいは再起をかけた戦費として計画的に地中に埋められたと考えられています。
この「軍資金説」は計画自体が数段階に分かれ、場所も複数箇所に分散されていたとする説もあり、探索が困難になっている原因とされています。
つまり、徳川埋蔵金は単なる財宝ではなく、政治的・軍事的な意味合いを持った「非常用資産」だった可能性が高いのです。この背景を理解すると、なぜそれほど厳重に隠されたのかが見えてくる気がしてきますね。
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徳川埋蔵金と水野家のつながりとは?
水野家は、明治から今日まで百年を超える長い年月、私財を投げ打って徳川埋蔵金の発掘事業にあたってきました。
水野家の、水野智義氏は、幕府元勘定吟味役から「360万両の軍資金」に関する情報を入手し、幕府要人(小栗上野介ら)が関与したとされる萬四目上覚之帳や大義兵法秘図書を基に、赤城山での発掘調査を進めました。
発掘事業は、水野智義氏から長男の水野義治氏、二男の愛三郎氏へと継承され、現在は愛三郎の子息である水野智之氏が引き継いでいます。
このように、水野家は徳川埋蔵金の発掘活動に重要な役割を果たしてきましたが、直接的な埋蔵金関与証拠は現段階では見つかっていません。
徳川埋蔵金を追い続けた人々とその末路
徳川埋蔵金の伝説は、水野家を含め、人生をかけてその探索に取り組んだ人がたくさんいます。
1990年代から2000年代にかけては、TBSによるテレビ番組で大規模な発掘プロジェクトが実施されました。この番組は高視聴率を記録し、国民的な話題にもなりましたが、結果として金貨の発見には至らず、巨額の費用と長期間の労力が費やされました。
個人レベルでも、数十年にわたって赤城山やその周辺を調査し続けた歴史研究家や、地元住民による発掘活動も行われてきました。
多くの探索者が経済的・精神的な損失を受けながらも、夢を追い続けた結果、埋蔵金は“現代の神話”としての側面を強めることになりました。
徳川の埋蔵金を掘り起こしてはいけない?記事のまとめ
最後に、この記事のポイントをまとめます。
- 徳川埋蔵金は日本史最大の謎とされ、今も多くの人々の関心を集めている。
- 「掘り起こしてはいけない」という不穏な噂が近年広まりつつある。
- 童謡「かごめかごめ」が埋蔵金の隠し場所を示す暗号だという説がある。
- かごめ=六芒星と解釈され、日光東照宮を中心に神社を線で結ぶと六芒星が浮かび上がる。
- 歌詞に登場する「鶴と亀」や「後ろの正面」が家康の墓を示していると考えられている。
- 六芒星には浄化・魔除け・幸運を引き寄せるパワーがあると信じられている。
- 埋蔵金と共に古文書が発見されると、歴史認識が覆る危険性があるとの説がある。
- 実際に政府が発掘を禁じている記録はなく、噂や都市伝説が中心。
- 赤城山は最有力候補地で、井伊直弼が計画し林靏梁が実行したとされる。
- 赤城山ではTBSによる大規模な発掘も行われたが、決定的証拠は見つかっていない。
- 紀州徳川家の存在から、和歌山に隠された可能性もロマンとして語られている。
- 埋蔵金を掘った者に災いが起きるという祟りや怪異の噂が昔から存在する。
- 幕府の財政難や明治期の混乱から、埋蔵金は最初から存在しなかったとする説もある。
- 埋蔵金は幕府再興のための軍資金として隠されたという「軍資金説」が有力。
- 明治以降、水野家が代々埋蔵金の発掘を続けており、現在も活動が継続中。
- 多くの発掘者が夢を追い、人生をかけて埋蔵金を探したが、未発見のまま現代の神話となっている。
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