和歌山市の中心部を歩いていると、ふとした路地や静かな寺町に、江戸時代の息吹が今も残されていることに気づきます。
特に、徳川御三家のひとつ・紀州徳川家にゆかりのある場所は、観光地としての派手さはないものの、深い歴史と趣を感じられる貴重なスポットです。
この記事では、八代将軍・徳川吉宗の生誕地や紀州徳川家の菩提寺・報恩寺、そして寺町通りの風情ある寺院群などを巡る、徒歩で楽しめる歴史散策ルートをご紹介します。
歴史好きはもちろん、落ち着いた雰囲気の街歩きをしたい方にもおすすめのコースです。静かで趣のある道を歩きながら、和歌山の奥深い歴史に触れてみませんか?
【和歌山】紀州徳川ゆかりの地を歩く:寺町通りや徳川吉宗生誕の地
- ルート
- スタート~徳川吉宗生誕の地
- 報恩寺
- 寺町通り――城下防衛と祈りを担った寺院街
- 紀州徳川神社
- 徳川吉宗像
ルート
今回は以下のルートで散策しました。
(和歌山美術館前からスタートし、徳川吉宗生誕の地、報恩寺、寺町通り(無量光寺等)、紀州徳川神社、徳川吉宗像まで歩いて、和歌山美術館前に戻って来るというルートです)
コースを決めるにあたっては、ネットで出てきた「和歌山城、寺町 散策コース」を参考にしました。こちらは私が歩いたルートより更に長く、和歌山城側も歩くのであればオススメです。
スタート~徳川吉宗生誕の地
和歌山美術館の駐輪場に自転車を停めました。
(美術館にも併せて入館しています)

和歌山大学教育学部附属小中学校の前を通り進みます。

ここは左側を進みます。

この通りをまっすぐ進むと、(この通りの右手側に)徳川吉宗生誕の地があります。

これですね。

少し拡大。


徳川吉宗生誕の地
徳川吉宗は貞享元年(一六八四)十月、城下吹上邸で生まれたとされている。
父は紀州徳川家二代藩主の徳川光貞で、母はその側室お由利である。元禄十年(一六九七)四月、葛野藩(現福井県朝日町)三万石の大名に取り立てられ、
宝永二年(一七〇五)二人の兄の相次ぐ死によって五代藩主となる。その後享保元年(一七一六)八代将軍に襲職し、享保の改革を進める。
幕府支配体制の強化を図り、「徳川中興の英主」といわれる。
報恩寺
徳川吉宗生誕の地から報恩寺までは距離が近いので、すぐに行くことができます。
報恩寺についての説明を、公式サイトから引用します。
報恩寺は、もとを要行寺といい、慶長14年(1609年)に建てられたとされています。 その後、寛文6年(1666年)に紀州徳川家藩主 徳川頼宣公夫人 遥林院の 追善菩提の為、息子である 光貞公 が要行寺を報恩寺と改め、一カ所本山とし て寛文9年に小西檀林化主日順上人を招き、寺領250万石を寄進し開山導師としました。日順上人は、朝廷から権大僧都の位を賜り、参内を許されていました。
以来、当山は紀州徳川家代々の菩提寺として、また和歌山城下唯一の『武士寺』として親しまれてきました。最盛期には末寺6ヵ寺、総面積は約2万5千 坪を有する紀州随一の日蓮宗寺院として栄えました。
(中略)
今日の本堂は、平成11年に大改修・落慶したものです。しかし、焼失を免れた 紀州徳川家御廟所や戦時中の供出を免れた鐘楼は和歌山市指定文化財(史跡・ 工芸品)として、脈々と受け継がれてきた紀州の歴史を物語っています。
https://houon-ji.net/
報恩寺の駐車場は、以下の感じです。

白色区画(1~82)が報恩寺のものなので、かなり車を停められるようです。

報恩寺の入口です。


「紀州徳川家御廟所和歌山市指定名所」と書かれているようです。
(御廟所とは、【祖先や貴人の霊を祭った場所】を指すとのこと)

中に入っていきます。




徳川家の家紋(葵の御紋)ですね。

水戸黄門の印籠とも同じマークです。

読み取りづらいですが、撮影。

ここから、さらに先に進むことができます。

階段を上がらなければなりません。



徳川家御廟と書かれています。
ここに徳川家の祖先が祀られているということでしょう。









(報恩寺については以上です。元来た道を戻り、寺町通りを目指します)
寺町通り――城下防衛と祈りを担った寺院街
報恩寺を出てから、南に進むと寺町通りにたどり着きます。

寺町通りは、寛永期(1624–1644)に和歌山城の都市計画の一環として、元寺町周辺にあった寺院を南へ集団移転させて整備された通りです。市民公募で決まった通り名が定着し、現在も約700 mにわたって寺院が軒を連ねます。
以下、寺町通りにあるお寺です。
三光寺
和歌山市吹上に佇む三光寺(さんこうじ)は、西山浄土宗に属する歴史ある寺院です。文亀2年(1502年)、福生大徳上人によって創建され、当初は真言宗の寺院でしたが、後に西山浄土宗に改宗されました。創建当初は和歌山市宇治の前島に建立され、その後元寺町を経て、寛永17年(1640年)に紀州藩初代藩主・徳川頼宣の命により、現在の寺町通りに移築されました 。

三光寺は和歌山西国三十三箇所の第三番札所としても知られ、巡礼者に親しまれています 。本尊は阿弥陀如来で、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
窓譽寺
窓誉寺(そうよじ)は、曹洞宗に属する歴史ある寺院で、山号を「龍門山」と称します。1619年(元和5年)、紀州藩初代藩主・徳川頼宣が駿河から入封した際、窓泉寺の二世・瓢外法察禅師を招いて創建されました。本尊は釈迦牟尼仏で、和歌山西国三十三観音霊場の第9番札所としても知られています。

この寺は、怪談「番町皿屋敷」に登場するお菊にゆかりのある寺としても有名です。お菊の皿の一部が奉納されており、境内には「お菊地蔵」が祀られています。この地蔵は、お菊の霊を慰めるために建立されたもので、訪れる人々に静かな感動を与えています。

大恩寺
和歌山市吹上に位置する大恩寺(だいおんじ)は、浄土宗に属する寺院で、山号は深信山です。開創の時期は不詳ですが、元和年間(1615~1624年)に紀州藩主の命により現在地に再興されたと伝えられています。本尊は阿弥陀如来で、境内は落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

大恩寺は、江戸時代後期の本草学者であり、和歌山藩の藩医として活躍した小原桃洞の菩提寺としても知られています。小原桃洞は、薬草を含む天然の薬用資源を研究し、多くの著作を残すとともに、多くの人材を育成しました。その功績を偲び、彼の墓所は和歌山県指定史跡となっています。

護念寺
護念寺(ごねんじ)は、西山浄土宗に属し、山号を「増上山」と称する歴史ある寺院です。永正5年(1508年)、雲山意春和尚によって創建され、当初は「常福寺」と呼ばれていました。その後、天正13年(1585年)に和歌山城の築城に伴い、城の鬼門除けとして松屋町に移され「護念寺」と改称されました。さらに、寛永17年(1640年)には藩祖・徳川頼宣の命により現在の地に移築され、幕末まで寺社奉行の直支配を受ける格式高い寺院として存続しました。

護念寺は、和歌山西国三十三箇所観音霊場の第十一番札所としても知られています。本尊は阿弥陀如来で、境内には本堂のほか、三十三観音像を安置する観音堂や、四本柱の八方に一枚板の菊花の浮き彫りがはめこまれた珍しい鐘楼があります。

無量光寺
和歌山市吹上に位置する無量光寺は、1829年(文政12年)、紀州藩10代藩主・徳川治宝の命により創建された浄土宗の寺院です。開山は念仏行者として知られる徳本上人で、京都の法然院を模して建立されました。

この寺の最大の特徴は「首大仏」と呼ばれる高さ約3メートルの仏頭です。元々は末寺の大福寺にあった丈六仏の頭部で、火災や地震により本体が失われた後、1908年(明治41年)に無量光寺へ移されました。「首から上の願いを叶える」と信仰され、受験生や就職活動中の人々に人気の参拝スポットとなっています。




寺町通りのお寺を楽しんだら、紀州徳川神社を目指します。
紀州徳川神社
和歌山市岡山丁の岡公園内に鎮座する紀州徳川神社は、紀州徳川家の歴代藩主を祀る神社です。和歌山城の南側に位置し、静かな池のほとりに佇むこの神社は、地元の人々に親しまれています。
社殿は比較的新しく、木造の拝殿と小さな鳥居が設けられており、境内には徳川家の家紋である葵の御紋が掲げられています。また、八大龍王を祀る洞穴のような構造物もあり、独特の雰囲気を醸し出しています。
徳川吉宗生誕の地や報恩寺、寺町通りなどと併せて訪れることで、紀州徳川家の歴史をより深く感じることができます。静かな環境の中で、歴史と自然を感じながら心を落ち着けるひとときを過ごしてみてはいかがでしょうか。


弘法大師=空海のことですね。









滝のようなものが見えますね。


亀が甲羅干しをしています。

紀州徳川神社の訪問を終えたら、美術館の方面に行き、徳川吉宗像を最後に見ます。
徳川吉宗像
徳川吉宗像は、美術館の前にあります。
馬に乗っていて、かっこいいですね。


以上で、今回のルートは終わりです。
【和歌山】紀州徳川ゆかりの地を歩く【寺町通りや徳川吉宗生誕の地】まとめ
最後に、記事のポイントをまとめます。
- 和歌山市中心部には紀州徳川家ゆかりの歴史的スポットが多数残っている
- 今回は「和歌山美術館前」を起点に、徳川吉宗生誕の地や寺町通りなどを巡る徒歩散策ルートを紹介
- 徳川吉宗は紀州藩主・徳川光貞の四男として吹上邸で誕生し、後に八代将軍となった人物
- 吉宗生誕の地には小さな石碑と案内板が設けられており、静かな住宅地の一角に位置している
- 生誕地から程近い「報恩寺」は紀州徳川家の菩提寺であり、徳川家の御廟所が現存している
- 報恩寺は日蓮宗の名刹で、歴史的建築物や文化財が多く、和歌山市指定史跡にもなっている
- 寺町通りは江戸時代に防御・防火目的で寺院が集められた通りで、約700mに20以上の寺が並ぶ
- 通り沿いには三光寺、無量光寺など特徴ある寺があり、無量光寺には「首大仏」がある
- 散策の終盤には「紀州徳川神社」を訪問し、自然豊かな雰囲気の中で参拝できる
- 最後は和歌山美術館前にある馬上の徳川吉宗像を見学してコース終了
- 徒歩で巡れるコンパクトなルートながら、紀州徳川家の歴史を深く感じられる構成になっている
- 和歌山城周辺と併せて歩く長めのルートもあり、より深く歴史散策を楽しむことも可能
- 各スポットには撮影スポットや歴史的解説があり、観光と学びが両立できる
- 歴史好きはもちろん、週末の気軽な街歩きにもおすすめのコース
- 城下町の雰囲気や紀州徳川家の存在感を実感できる、和歌山ならではの歴史散歩記事となっている
寺町通りの静謐な空気と、吹上に残る小さな石碑。どちらも派手さはありませんが、歩いてこそ感じられる“紀州徳川”のリアリティが詰まっています。和歌山城の天守から眺めるだけでは見えてこない城下の暮らしと藩主のルーツを、ぜひ足で辿ってみてください。
歴史好きはもちろん、週末旅の寄り道にも最適なこのルートで、あなたも“暴れん坊将軍”誕生の地の空気を味わってみませんか?
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